プーケットから自由な「ことば」
ダイビングインストラクターの”なんとかなるプーケット生活”。。。印象に残った『ことば』をいろいろと考えています
Ads by Google
--年 --月 --日 (--) --:-- | 編集
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
たまに帰ってくる旦那の嫁は良く笑う
2009年 03月 02日 (月) 09:27 | 編集
『ひゃっ!ひゃっ!ひゃっ!ひゃっ!』

隣にタイ人女性と外国人男性の夫婦と彼らの子供が住んでいます。タイ人女性はずーっと家にいる様ですが、男性はずーっと家にいません。忘れた頃に家に帰ってきます。どんな仕事をしている人かは知りません。

そのタイ人女性は笑います。人間なので当然なのですが、その笑い方が微妙で、、、


『ひゃっ!ひゃっ!ひゃっ!ひゃっ!』


てな感じで笑います。テレビを見ている時によく笑っている様です。かなり高音の声です。大抵、「ひゃっ」が4回続きます。5回の時もあります。たまに4回X2=「ひゃっ」が8回とかになる事もあります。さらに最初の「ひゃっ」が「ひゃーーーっ」って伸びて、、、


「ひゃーーーっ、ひゃっ!ひゃっ!ひゃっ!」


となることもあります。かなり面白い内容の番組を見た時なのでしょう。

めちゃくちゃ良く聞こえます。勿論隣の家から、または向かいの家から聞こえます。ちなみに、向かいの家にもタイ人女性と外国人男性と彼らの子供が住んでいますが、こちらの男性もたまにしか帰ってきません。向かいのタイ人女性は「ひゃっ!ひゃっ!ひゃっ!ひゃっ!」と笑うその彼女の友達の様で、よく一緒にいます。なので、向かいの家からも「ひゃっ!ひゃっ!ひゃっ!ひゃっ!」が良く聞こえます。

さらに彼女は、たまに歌いながら僕の家の玄関横に育っている果物の身をむしり取って家に持って帰ります。「そろそろ食べごろかな」って思っていると、、、いつも先を越されてしまいます。

僕はこのタイ人女性を、、、

ひゃっひゃっひゃっおばさん

と親しみを込めて呼んでいます。何だか妖怪大百科に載っていそうな感じです。
持つ事と持たない事。良いのか良くないのか?
2009年 02月 26日 (木) 10:47 | 編集
『利点は、音楽を聴きながら本を読めること』

『利点は、音楽を聴きながら本を読める事』


そう言われて、これが不利な点になる人とはどんな人なのだろうか?と考えてしまいました。さて、どんな人達が不利になるのでしょう?それは、、、

絶対音感を持った人達

だそうです。特に、音が全て音階(ドレミ)で聞こえる人達には不利とのこと。

絶対音感を持っていない人達は、音楽を聴きながら本を読める。これは絶対音感を持っていない人達の利点になる、ということです。もちろん、絶対音感を持っていない人でも、「本を読むときは音のない静かなところで読む」って人はいるとは思います。しかし例えば、家の中で、喫茶店で、病院の待合所で、バス停で、電車の中で、、、と、本を読む場所はたくさんありますが、その環境の後ろに音楽はありませんか?俗にいう「BGM」って奴です。

BGM バックグラウンドミュージック (Background music)は、なにか別の主体となるものの背景として流れる音楽のこと。BGM(ビージーエム)と略される。バックグラウンドミュージックはその場の主役にはならないが、その場を演出するために使用される音楽である。

ウィキペディア(Wikipedia)より

絶対音感を持っていない人が音を聞いた時、それは「音」として認識されます。それ以上はありません。しかし絶対音感を持っている人が音を聞いた時、それは「音」として認識されると同時に「言葉」としても認識されます。なのでBGMと言う脇役的存在のその音は、絶対音感を持っている人にとって、主役になってしまうことが多いそうです。だって全てがドレミで聞こえてくるんですから。周りで誰かが喋っているのと同じ事ですからね。

僕は絶対音感を持っていないので、その実際の感覚は解りません。常に自分の周りに言葉がある感覚。それは鳥の声であっても、波の音であっても、風が樹々を揺らす音であっても、それらは「音」であり「言葉」である、ってことですよね。自然の音って言うより、自然の言葉って感じですか。。。

自然の言葉が聞けるなんて素晴らしい!って思うのは、軽卒な考えなのでしょうか。

ちなみに、この絶対音感。音を「音」と「言葉」として同時に認識する為の脳の2つのエリアを、細胞間でつなげる訓練をすると身に付くそうです。特に3歳から6歳の間にしっかり訓練すると身につけられるそうです。

絶対音感。それはあった方が良いのか、ない方がいいのか。それは便利な物なのか、そうで無い物なのか。音楽を聴きながら本を読めないのは不利なのか、不利ではないのか。その人の考え方次第でしょう。
自分の存在を確保しよう!政府の陰謀に巻き込まれるな!
2009年 02月 22日 (日) 08:57 | 編集
『人とは、、他人の中に自分を見いだす生き物』

ある映画の中で、主人公が海外に仕事に行ったとき、色々とトラブルや奇妙な事に見舞われる。その度に、「身分を証明する物を出して下さい」と言われるのだが、それが出せない状況になっている。パスポートは何かの手違いで手続きの為に大使館にあるし、派遣先の上司に連絡を取るも、「あなたは誰だ?」と言われる。さらには、やっとパスポートが戻ってきたと思ったら、名前が自分とは違う人の物になっている。。。などなど。この映画、最後まで見る事が出来なかったのですが、、、恐いですね。何かの陰謀で、個人の情報が全て消去され、さらには他人になってしまいす。要は、存在していた”自分”が抹消されてしまう、と言う物です。

浦沢直樹さんの漫画、「MONSTER」でも、同じ様なことが起きます。自分を「自分」と証明してくれる人がいなくなってしまう。すると、その「自分」は存在していないのと同じになってしまう。孤独だ、、、って。

「自分」と言う存在は、他人がいてこそ証明出来る存在で、「自分」を知っている人がこの世から全ていなくなってしまい、証明する書類が全部なくなってしまうと、「自分」はこの世に存在していないのと同じってことになる。。。のかな?そう言う状況になる可能性的はは、普通に生活している限りかなり低いとは思いますが、、、そういう「存在していない人」になることも可能ではある、と言う事も言えます。ただし、生活するにはかなり厳しいでしょう。”人は一人で行きて行く事は出来ない”って言う人もいます。少なくとも、僕は一人では生きて行けません。


『人とは、、他人の中に自分を見いだす生き物』


と、ある生物学者の方が言っていました。同じ霊長類のゴリラやチンパンジーは、DNA的にはかなり高い確率で人と一緒なのに、これだけ違う生活を送っているのは、「共感という概念を持っている事」だと言ってました。

○お互いがお互いの目を見て話す
○おばあちゃん、おじいちゃんの存在
○何かを他人に教える

これらは、ゴリラやチンパンジーの世界にはない事だそうです。人は白目と黒目があり、その動きによってお互いの感情を読んでいるそうです。ゴリラやチンパンジーには白目はほとんど無く、目を見て事を行う事は、彼らの世界では”相手に対する挑戦”と見なされます。

ゴリラやチンパンジーの世界では、大人は死ぬまで子供を作り、寿命が来たら死ぬ。おばあちゃんやおじいちゃんの時期が人の世界に比べて極端に短いそうです。人の世界では、おばあちゃんやおじいちゃんは生殖行動を行わなくなっても存在し続け、自分の子供や孫に色々な知恵を授ける。

教えると言う行動は、ゴリラやチンパンジーの世界ではないそうです。ライオンや鳥の世界ではあるようです。人の世界では当たり前ですよね。特に不思議なのは、自分の子供だけでなく”他人に教える”ということだそうです。これは「他人との共感という概念」があるからこそ出来ることだと言われています。

まあ、最初の映画の話とちょっとズレてしまいましたが、要するに何が言いたかったのかと言うと、他人と共感するのは大切だ!と言う事です。その事によって、「自分」が存在し続けることが出来るのでしょう。後は、ハリウッド映画並みに、政府の陰謀に巻き込まれるなよ!と言う事です。
copyright (C) プーケットから自由な「ことば」 all rights reserved.
designed by polepole...

FC2ブログ